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<<   作成日時 : 2010/01/11 01:49   >>

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1989年。

早々と地域大会で敗退した僕の中学サッカー部。


3年生ということで、毎年恒例になっていた引退試合は今年は行わず、

石川県へ引退記念合宿という形で行われることになった。
寝屋川にある中学(同志社香里と、もう一校はおぼえていない)と合同で、3校でバスに乗っての
石川県遠征、寝泊まりは星稜高校という、今思えば凄い合宿だった。

前年は長居競技場で引退試合は行われたそうだが、芝の上で出来るなんて羨ましいな、
なんて思ってた記憶がある。


またもうひとつ、

これも毎年恒例になっている、後輩との練習試合。

その年は合宿前に行われた。

すでに目的意識もなく、精神的にすごく気楽になっていた時期だ。

その試合、


僕は左ウイングでの出場となった。




現在の1トップ、2トップではなくその頃はシステム的には4−3−3が多かった。

センターフォワードを配置し両サイドにウイングと呼ばれるフォワードを配置。主にクロスを上げたり
中に切りこんだり、現在のサイドバック的な役目で攻撃はこの3人と中盤のセンターMFで行うのが主だった。
今のバルセロナなんかとは全く違うコンセプトだ。


もともとポジションは左サイドバックだったのだが、

左利きだったのと、体格が中学生の中では体格がよかったからだろう。
しかもレギュラーではなく控えが主で、たまに途中交代ででる程度。



もともと僕たちの年代は、凄く期待されていた年代だった。
小学生の外部のサッカーチームで全国大会に出ている奴らや、その地域で「巧い」と言われる人材が
何人もいて、地域大会なんかの合間に行われる練習試合でも他校との試合は負けなしだった。

ただ、仲は最悪。

自分勝手なプレー、ミスは人のせい、俺が俺がの精神。
個人の力では勝てていたサブチーム時代でも、中学二年冬以降の僕たちがメインチームになった時には
それだけで勝てる訳もなく・・・チームは連戦連敗。

そう、僕たちは「チームワーク」というものが存在しない。

ミスは人のせい、監督からは怒鳴られ、試合に負ければ罰ゲームのようなグラウンド30周。

そんな状態で、サッカーが楽しいわけがない。


僕は、試合に出るのが大嫌いだった。



(続く)

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